『パパvs新しいパパ』シリーズ

『パパvs新しいパパ』は日本ではDVDスルーされてしまったが、素晴らしいコメディの名作だと思う。

 

ウィル・フェレル演じる主人公ブラッドは、シングルマザーのサラと結婚し二人の連れ子の継父となる。彼は優しく真面目な男であるが、それ故、頼りなく子供達からは好かれていない。娘が描いてくれる絵には必ず凄惨な死体として登場し、生きていても頭にウンコが乗っけられて描かれる始末だ。しかし、息子からは学校でいじめられてる悩みを相談され、娘からは「娘と父親のダンスパーティー」に誘われ(彼は子供達から信頼されるといちいち号泣する)ようやく家族に受け入れられ始め、安心したのも束の間。ある日、サラの元夫で子供達の実の父親であるダスティから、明日、家にやって来るという突然の連絡が入る。子供達は喜んでいるが、サラはなぜか必死になって止めようとする。ブラッドは懐の深さを見せつけるべく、喜んで招待すると伝えてしまう(このシーンの演出が非常に素晴らしいのは、電話の向こうにいるダスティは声も含め、ビジュアルの一切が現れないことだ)

 

翌日、ブラッドはお人好しにもダスティを空港まで迎えに行く。そして、満を辞して出口からダスティが現れた瞬間、突如AC/DCの名曲「thunderstruck」のサビが盛大に流れ出すのだ。全てのマッチョイズムとアメリカイズムを集約させたような、この男はよりにもよって背景の窓から射し込む、夕陽のギラギラした光を背に、ゆっくりとエスカレーターを降りて来る。当然、ここはスローモーションだ。あまりにもバカっぽい。通り過ぎるスチュワーデスは皆、彼に色目を使い、メキシコ系のオヤジまでも何故か少年のような笑顔を向けてしまう、そんなヤバい男ダスティを演じるのは、こともあろうに、あのマーク・ウォールバーグだ。

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ブラッドは思わず生唾を飲んで恐れおののくが、向かって来る彼に意を決して「もしかして、ダスティ?」と聞くと、無愛想に「違う」と返されてしまう。拍子抜けしつつも安心したブラッドは、その後も現れることはないダスティを空港で待つハメになった。

 

待ちぼうけを食ったブラッドは自宅に帰ると、なぜか駐車場にはイカついチョッパーが停まっており、室内からは子供達の楽しそうにはしゃぐ声がする。サラによれば、ダスティはすでに居座っていて、子供達に不健康なお菓子を与えているという。「勝手なことを!」と怒ったブラッドはガツンと言うべく「おい、ダスティ!」と堂々と向かっていくが、そこにいたのは当然、空港でシカトして来たあの男。今にも殴りかかりそうなダスティが立ち上がった途端、またも「thunderstruck」が盛大に流れ出し、ブラッドはとても立ち向かうことなどできないのであった。

 

こんな登場をしたため、ダスティは全く信用できない輩だ。ブラッドはなんとかして追い出そうとするが、ダスティは「ちゃんと子供達に君が新しい父親だと伝えるために来たんだ」「君を男にするために来たんだ」「俺は元特殊部隊だ」などと口八丁手八丁でブラッドに取り入り、あれよあれよと言う間に家族、そしてブラッドの職場の人間たちまでをも掌握して行き、父親の座を奪おうとするのだ。

ダスティは子供達が寝る前に自分を王子、ブラッドを悪役に例えたおとぎ話を必ず語り、子供達を徐々に洗脳していく。それに気づいたブラッドは、反対に王子を悪役にしたおとぎ話を披露して対抗する。物語が進むごとに、このおとぎ話は過激にエスカレートしていき、その時々のお互いの状況などが反映されだすのがオカシクて仕方ない。こうして繰り広げられる、ダスティとブラッドのあまりに大人気ない戦いが本作最大の見せ場でありギャグだ。他にも、『サイドウェイ』でジゴロのジャックを演じたトーマス・ヘイデン・チャーチがブラッドの上司として登場し、いちいち自分の身に降り掛かったエロ話を例えに、何の役にも立たないアドバイスをブラッドにする展開も笑える。

本作は日本語吹き替え版で観るとさらに笑える。ブラッドを岩崎ひろし、ダスティを花輪英司が務める吹き替えの方が原語のギャグのニュアンスを字幕よりもうまく伝えており、なおかつ日本語的な面白いセリフにきちんと翻訳してあった。「野郎どものお帰りだ!」「あなたが輝く袋ですね」などのセリフには腹を抱えて爆笑した。

 

クライマックス直前、あまりにくだらない戦いの末、ブラッドは暴走して失態を晒し、家から追い出されることになってしまう。勝利したダスティはこれまでブラッドの役目であった子供たちの送り迎えや家事を任される。が、ブラッドには完璧にやり遂げられた現実的な父親としての役目を、本当の父親である彼にはまるでやり遂げることが出来ない。結果、ダスティはその重圧に耐えられず逃げ出してしまう。

本作が実はシリアスなテーマを内包していたことが、ここに来て分かってくる。頼りなくて真面目だが、思いやりがあり几帳面なブラッド、たくましくて面白いが、自分勝手でガサツなダスティ、誇張したギャグとして対比された両者の姿から「父親になるために必要なものとはなんなのか?」ということが浮かび上がってくる。

 

ダスティまでも去ってしまい、家族から父親が完全に消えてしまったその日はなんと、大事な「娘と父親のダンスパーティ」の日であった!一体、家族はどうなってしまうのか?どちらが父親に相応しいのか?

そこから始まるクライマックスには、ナンセンスコメディらしい飛躍した展開も用意されているが、あくまでも、ここで描かれるのはダスティとブラッドの成長と、そこから生まれる友情という、非常に感動的なドラマだ。しかも、伏線回収を見事に果たしたくだらないギャグと両立させて描くことで、説教臭さを回避した大団円にまで結実する。個人的には、ダンスで物事を解決する展開がある映画にハズレはないと改めて思った。

 

ラスト、家族内での自分の地位や立場が危ぶまれる可能性というのは、それまで安全圏にいると思っていた人たちを含め、誰にでも起こり得るということを端的に描いて見せることで、映画は普遍的な広がりを残して終わる。この成熟した語り口によるクールな終わり方も含め、本作のテーマと物語は非常にピクサー作品を思わせるものがあった。特に『トイ・ストーリー』や『インサイド・ヘッド』など。

 

ウィル・フェレルのコメディ映画というのは基本、彼の常軌を逸した言動をギャグとして見せているが、物語やテーマがきちんと描かれていない場合は、ただキチガイが行う即物的なギャグの連打にしか映らず、映画としては破綻したまま終わる作品もよくある(それはそれでコメディ映画として価値があるし大好きだ)

しかし、本作で繰り広げられるいつもの常軌を逸した言動ギャグは、全て「父親として家族に受け入れて欲しい」という極めて切実かつ人間的な願望に基づいた行為のため、どんなに彼がキチガイでも観客を感情移入させ続けることに成功している。なので、本作はウィル・フェレル作品の中でも、突出してウェルメイドな完成度を誇っている。それが成立しているのは、もちろん同等のキチガイでありヒールの役割を担うマーク・ウォルバーグのおかげでもあるが。

 

そんな素晴らしい映画の続編『パパvs新しいパパ2』が、つい先日DVDでリリースされたが、正直、一作目の完成度には到底行き着けなかった。物語の展開とテーマは基本的に一作目を踏襲しているが、ものすごく希釈されたドラマとギャグを見せられた感は否めない。特に、新たに登場したキャラクターそれぞれの問題やドラマをしっかり提示しているだけに、解決や成長をちゃんと描く余裕がなかったようで、最終的にはとっちらかった印象を残すのがとてももったいない。無闇にキャラクターを増やした結果、本当に大切な物語やテーマを描く余裕が無くなるのは、最近の大作映画が陥りがちな問題だとも思う。

何よりも、メル・ギブソンが良くなかった。彼は、他のキャラクターが何か失敗したりいざこざを起こす度に、ゲラゲラと笑って喜ぶ悪魔的なキャラクターだが、そうやって彼が客観的に笑う役割を劇中で担ってしまうと、まさに笑って観ている我々観客は覚めてしまう。キャラクターが徹底的に真剣であるがゆえに、悲劇を招いていけばいくほど笑えるのがコメディの魅力であって、それにおいて、観客の立場と同化してしまうキャラクターの扱いは非常に難しいと思った。それ以外にも、悪魔的な人物でありながら、なんだかんだ孫の成長を(手段は過激といえ)序盤から後押ししたりしていて、後半の変化に盛り上がりがない。メル・ギブソンをあまりに特別扱いして描いてしまったことも、この作品が面白くなり損なった要因ではないか。

あと、マーク・ウォルバーグが結局成長した結果、常人になってしまったのも面白くなかった。そのせいで、ウィル・フェレルのギャグもいつものキチガイ感で即物的に終わってしまったのも残念だった。

  

ただ、ジョン・リスゴージョン・シナはとてもチャーミングでそこは良かった。