『クリード 炎の友情』

本作最大の物語的ハードルは「なぜアドニスがドラゴ親子からの挑戦を受けるのか?」にある。アドニスは前作で、父親であるアポロの呪縛を解消し、自分が何者なのかを見事に証明した。それが果たされている以上、アドニスには戦う必要がない。もし、アポロの敵討ちなのだとしても、それはロッキーがすでに行っているから意味がない。アドニスにとっては一切利がなく、それどころかかつての呪縛に逆戻りしかねない無駄な戦いに、それでも身を投じるのはなぜか。このハードルを乗り越えれば「自分が信じることを最後までやり遂げられるのか?」というロッキーシリーズのテーマに相応しい燃える感動が待っている。それが一番楽しみだったのだけど、本作はそこを乗り越えなかった。最初にアドニスがドラゴ親子と戦う動機は「挑戦を受けたから」あるいは案の定の「敵討ちだから」程度の、極めて安易なものにしか見えなくて全く燃えなかった。

そして、ドラゴと戦うことを決めたアドニスとロッキーが仲違いをする展開にはさっぱり乗れなかった。前作であれほどの絆と信頼を築き、お互いを支え合ったはずのアドニスがロッキーに「俺が看病してやったんだ。俺がいなければ、あんたはただの孤独な老人じゃないか」なんて、浅はかなことを言うとは思えない。いくらチャンピオンとして自信をつけて、多少はおごり高ぶっていたとしても、前作と地続きのアドニスには見えなかったし、この台詞にはロッキーとアドニスをひとまず決別させたいがための安易な作為しか感じず、前作のふたりの友情に感動した自分はがっかりした。しかも、この仲違いはすごく説得力のない形であっさり和解してしまう。これでは、いよいよ上映時間を埋めるために用意した無駄な水増しにしか思えない。

このふたりの無駄な決別に限らず、本作でアドニスに降りかかる葛藤のすべてが、本質的には前作で描かれたことの繰り返しでしかない。悪い言い方をすれば蛇足である。『ロッキー』一作目以降と同じような問題に『クリード』まで陥った。しかし、ロッキーシリーズの水増しは、その都度描かれるロッキー自身の不真面目さや、すぐ調子に乗ってしまったりする人間臭いチャーミングさで乗り切れた(あと、コメディリリーフのポーリーの存在が緩衝材になっていたのも重要だ)そうした、チャームがアドニスには欠けているから観ていて重い。彼はいかにも現代の若者として、様々な葛藤に真面目にぶつかり誠実に悩む。前作ではそれが熱いドラマに昇華されていたけど、こうして希釈した形で繰り返されるとただ単につまらない。子供が難聴なのはたしかに深刻な問題だけど、泣いたり叫んだりして、もっともらしく悩んでみせてるのは映画としてはつまらない。それに、ロッキーの薫陶を受けた男が、そんなことでうじうじ悩むのはナンセンスだと思った。

ロッキーに降りかかる葛藤ももちろん繰り返しだ。 前作では台詞で説明された程度の実の息子の件が、本作ではガッツリ浮上する。離ればなれに暮らしていて何年も連絡をとっておらず、産まれた孫にも会わせてもらっていないのだというのだが、『ファイナル』で息子との物語は完結したのに、また仲違いさせるのかとうんざりした。要は、アドニスと無理矢理な決別をさせたのも、すべてはロッキーを孤独な老人に仕立てあげたかったからなのだろう。しかし、ロッキーの孤独というのも、すでに前作でしっかり描かれていた。ポーリーもエイドリアンも死に、ただ一人残されたことで生きる気力を失い「早く死にたい」と言うロッキーの孤独や絶望は「息子に会えない、孫に会えない」などというありきたりなレベルをはるかに超えて真に迫っていたし、あまりにも悲しかった。

しかし、血は繋がらずとも同じ志を持ったアドニスビアンカと前作で出会ったことで、新たな家族を得て、ロッキーは希望を取り戻したのではなかったのか?

ラストでロッキーが息子の家をサプライズで訪ねに行くと、息子は何事もなく迎え入れてくれて、孫に「お爺ちゃんだよ」とあっさり紹介する始末。こんな無駄な水増しのためにロッキーを再び孤独な設定にするのは失礼ではないか。それに、ロッキーの癌のことも知らないと思われる息子の登場で泣かせようとするのも極めて安易だ。

このラストでアドニスとロッキーはそれぞれ自分の家族の元に帰り、別の道を行くように描かれていた。自分にはまるで「自分の血縁者こそが真の家族だ」という、つまらないメッセージに思えて、ここにもさっぱり乗れなかった。それに、旧シリーズに登場したキャラクターや主要人物の血縁を引っ張り出して安易な感動を作ろうとするのは、最近のスターウォーズをはじめとするフランチャイズ映画全体に蔓延する悪いところでうんざりする。

しかし、そうしたシリーズとしての限界を乗り越えられるポテンシャルというのが、敵役のドラゴ親子にはあったのに、そこを全く有効活用できなかったのはもったいない。

全てをロッキーにかっさらわれたことで、国を背負う英雄からどん底に落ちるが、それでも再起をかけるドラゴの姿というのは、ロッキーともアドニスにとも違う主人公として、まさに『ロッキー』シリーズに相応しいのだ。しかし、本作は上映時間の大半をアドニスの凡庸なドラマに割いてしまい、ドラゴにはしっかり踏み込まないのがもどかしい。そもそも『クリード』だって『ロッキー』のスピンオフなのだから、続編ではドラゴをメインにした、さらなるスピンオフにしたって良かったと思う。そしてタイトルも『ドラゴ~クリード2~』にしたってよかった。

今までの『ロッキー』シリーズがしっかり焦点を当ててこなかった、敵のキャラクターをメインにすれば、新たな物語を描けたはずだったと思う。終盤でドラゴ親子の物語は一気に盛り上がりたしかに感動的にはなっていく。ブリジット・ニールセン演じる母親から再び見捨てられても立ち上がらざるを得ないドラゴ息子の姿が、本作で最も感動的な瞬間だ。やがて迎えた決着はたしかにドラゴの物語としては上手く考えたものだとは思ったけど、あのタオルを投げる画をスローモーションにして大仰に描いたのは演出として失敗だったと思う。そういうのは、さりげなく描いてこそ、大きな感動が宿るのではいか。前作はそういうことをしっかり押さえていて、改めて良くできた映画だったんだなあと思った。