『ゲティ家の身代金』

本作最大の見せ場である耳の切り取りシーンは、実際の直接描写自体より前振りが一番残酷な感じがして良かった。突然部屋に入ってくる屈強な男たち、人質になぜか強い酒を飲ませようとし出し、やがて外科医と思われる不気味な男が...それらの前振りによって「これからどんな嫌なことが起きるのだろう」と観客は強く想像してしまう。だから、肝心の直接描写はそこまでしっかり見せなくても、結果的にはものすごい陰惨な印象を残す。もちろん、耳を切り取る描写自体も良くて(あの血がピューっと静かに吹き出す感じは『エクソシスト』の病院で拷問のような検査を受けるリーガンの胸の管から吹き出す血の嫌さに近かった)相変わらずリドリー・スコットはこういう所に妙な気合が入ってしまう人だなーと感心した。ちなみに、隣にいた観客は部屋に男たちが入ってきてからの一連の前振りでずっと目を伏せていて、直接描写自体はなんとか観れていたから、やっぱり前振りやリアクションって大事なんだと改めて思った。

 

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そういえば、あの外科医ウィリアム・フィンレイに似ていた。

 

とはいえ、犯人グループの目的は明確に金であるから事件自体に特別性はない。そうなると実話を基にする本作にとって最も肝心なのは、身代金を断固として払わんとする人質の祖父、大富豪のジャン・ポール・ゲティと、人質となった息子をなんとしても助けたい母親との攻防戦。そここそが、わざわざ映画化されるほどの一番のポイントである以上、勝負どころはゲティの存在感だけど、うーん...これがどうにも普通だった。そのせいで本作自体も普通の出来になってしまったと思う。クリストファー・プラマーはゲティに顔も似ているし貫禄もある。だけど、品格がどうにも漂ってるせいで、このキャラに必要と思われるゲスな迫力を感じなかった。それに実際のゲティの年齢に近いせいもあって、後半のマーク・ウォルバーグから詰められるところや寝起きで彷徨うシーンなんかは、本当に年老いた老人を観ているようにしか思えなかった。そういう風に、だんだんとあらわになっていく所詮は孤独で虚しい大富豪という姿は、実際のゲティのリアルに近いのだろうけど、それって映画としてはあまりにありきたりでつまらない。だから、本作自体も所詮は高級な再現ドラマ程度のレベルに留まってしまったのだと思う。

となると、やっぱり特殊メイクによって見た目からして異形の存在に化けたケヴィン・スペイシーは本作には必要不可欠な存在だったのではないかと考えてしまう。予告編でも強調される「Nothing」というゲティのセリフ、プラマーと全く同じことを言っているはずなのに、スペイシーの方がゲスく、そして底知れない感じがしてカッコ良かった。他にも印象に残る「More」というセリフも彼ならきちんと正確に言ったのではないかと思う。ソフト化の際には特典映像でスペイシー版も収録してくれないだろうか。

本作は倫理的に許されないことをした役者の出番を丸ごと別人に差し替えるという、現実的に全く正しい対処をしたことで、本来持っていたポテンシャルや魅力というものが失われてしまったと思う。非常に惜しいことをした映画だったんじゃないか。