『GLOW ゴージャスレディ・オブ・レスリング』

「大事なのは勝敗ではなく、自分が信じることを最後までやり遂げられるかだ」というのは、シルベスター・スタローンが『ロッキー』で描いてみせた、本当に大事なことだ。女子プロレスのショーに賭ける者たちを描いたNETFLIXのドラマシリーズ『GLOW』もそういうことを描いた作品だ。

 

鑑賞したきっかけは「あなたへのおすすめ」にこのビジュアルが出てきたから。

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これは面白いやつに決まっている。

 

主人公、ルースは売れない女優だ。演技は大仰で下手なのに主張は強く、それと優等生的なウザさが災いして、オーディションでは落とされるのが当然。唯一心を許せる親友(彼女も元女優)がいるものの、彼女の旦那とは成り行きで不倫を続けてしまい、常に後ろめたさを抱えている。まさに、どん底にいる人物だ。ある時、なんとか紹介してもらった「型破りな女を求む」というオーディション会場に張り切って行ってみると、そこにはなぜかリングが置かれていた。待機している面々もとても女優には見えない。そうして、やってきた、いかにもやる気がなく胡散臭いオヤジが「女子プロレスのTV番組を作る。その名も『GLOW』だ」と説明する。なんとここは、女子プロレスのオーディション会場だったのだ!そして、このオヤジこそが監督とコーチを兼任する男だ。

ルースは困惑しつつも、なんとかオーディションで監督に気に入られようとするが、優等生的ウザさが嫌われ、技のテストをするだけなのに、その場で物語を作りだし余計な演技を披露したことで、彼女は失格となり追い出されてしまうしまう。

 

帰り道、有り金はたいて買ったタコスは近所のガキたちに奪われる。その夜、高い授業料を払って通っている演技教室に行くが、講師は居眠りして自分の演技なんてまるで見ない。彼女は爆発してしまう「ここは私が唯一来たい場所なの!他に居場所はないの!」

ルースは追い詰められ立ち行かなくなる。しかし、そんな彼女が帰宅してまずしたのは、ノート片手にテレビで放送されているプロレス番組の研究だ。椅子を持ち上げ、ベットに飛び乗って技の練習をし、ハルク・ホーガンを参考に鏡に向かって前口上を考え出す「私は生理前になると不機嫌になる女!」感動する。重要なのは、彼女にとってプロレス自体は自分が本当にしたいことではないということだ。それでも「演じる」という意味においては変わらない。これは、ショーマンシップにかけてやらねばならないことなのだ。そして翌日、彼女はユニフォームに身を包んだバッチリの体制で再びオーディション会場に乗り込み、勝負を賭ける。

 

十分感動的で盛り上がる展開だが、しかし、ここまでなら大方想定内のスポ根モノで終わってまうだろう。だが、ここから予期せぬ事態が起こり、この物語はより深くさらに面白くなる。

ネタバレになるので具体的なことは書かないが、ここで起こるのは彼女にとっては最も屈辱的であり最悪な事態である。それがまさにリング上で、これ以上ないほどドラマチックな対決として展開してしまう。この偶然の事態から監督は『GLOW』という作品への可能性と勝算を見てしまい、ルースを一世一代のヒール役へと仕立てあげようと考えるのだった。

これが第一話。こうして『GLOW』という物語はスタートする。

 

女子プロレスの作品といえば、ロバート・アルドリッチ監督渾身の名作『カリフォルニア・ドールズ』がある。あの作品は、あくまでもガチンコの試合としてプロレスを描いていたが、本作は練習と研究を積み重ねて完成させる完全なショーとして描いている。だから、試合の勝ち負けといったものがここには存在しない。

このドラマの制作者は同じくNETFLIXの人気ドラマ『オレンジ・イズ・ニューブラック』(これも素晴らしいドラマ)を手がけたクリエイター。本作も『オレンジ・イズ・ニューブラック』同様、様々な女たちが登場し、各話ごとにそれぞれのキャラの物語や背景なども描かれていく。

例えば、レスラーの家系に育ちプロレスに憧れているにも関わらず、女だからという理由でプロレスを禁じられてる人物がいたりと、みな多種多様にくすぶったはみ出し者たちだ。プロレスを最初はバカにしていた者は、レスリングを知ることで、そのプロフェッショナルな実像に尊敬を覚えいったりもして感動的だ。そんな彼女たちに、あまりにも人種、性別のステレオタイプに満ちたリングネームとキャラクターがついに与えられる中盤の展開は、盛り上がるとともに腹を抱えて笑う名シーンだ。そして彼女たちは女子プロレスという、見世物に徹せねばならない場で、ステレオタイプな偏見や社会が貼るレッテルをキャラクターとして利用し、自分たちを輝かせる武器に変えていく。

監督も当初は『GLOW』を自分の念願の企画を映画化するための、足がかりにしか思っていなかったが、その温めていた渾身の企画というのが、後に80年代を代表することになる、ある有名映画のプロットと丸かぶりであったことを知り、己の才能の無さに本気で凹んでしまう。そして、目の前にある女子プロレスに本気で賭けざるを得なくなるのだ。

 

最終話で描かれるクライマックスには、スポ根ものらしい王道の展開が用意されている。しかし、積み重ねられた作劇と意表を突く人間ドラマによって、単純な予定調和には決して陥っていない。

何よりもグッとくるのはルースの物語だ。彼女はこの最終話で、まさに第一話で自分の身に降りかかった屈辱的で最悪な事態を、今度は自ら意図的に起こし、盛り上がるクライマックスを仕掛けてみせる。劇中のショーもこの物語も盛り上がりが頂点に高まり見事な大団円を迎える瞬間、こんなの感動せずにはいられない。こういった積み重ねが、ベタな物語に力強い輝きを与えるのだ。

 

年内にシーズン2も放送されることが決まっているらしい。また彼女たちの戦いのドラマが観れるのが本当に楽しみだ。