『ミスターノーバディ』鬱屈を爆発させるに相応しいボブ・オデンカーク
といっても西部劇のほうではない。原題は『No Boddy』でそのシンプルさがいいから「ミスター」は不要だ(しかも正しい表記はMrなんだけど、そう書くとなんだかマジシャンみたいでよりダサいから自分は『ミスターノーバディ』とする)し、日本版のポスターはただカッコつけすぎで、この映画本来の魅力を削いだものになっていると思う。しかしキャッチコピーをネオンピンク色で書いた映画ポスターのはしりは一体なにか。ネオンピンクコピーを使えば"この映画はヤバいですぜ"というアピールになると思ってるんだろうけど、これがポスターに書いてある時点で下品に思えて、自分はその映画を観たくなくなる。
ボブ·オデンカークが『ジョンウィック』の流れを汲むリアルファイトアクション映画の主演をやっている時点で感慨深いし本当に嬉しい。とにかく主人公のハッチが最初のバス格闘をするまでが大好きだ。序盤で彼の日常生活が毎日毎日同じことの繰り返しになってしまっていることを、本当に短いカットで細かく積み重ねた超編集(『ショーン・オブ・ザ・デッド』以降、定番になったこの手の日常生活モンタージュギャグのなかでも群を抜いたスピーディさ)で描いていくのが怒涛のつかみで悪くなかったけど、その日常生活のなかでランニングと懸垂だけは懸命にやっている(しかも仕事で成功していると思われる妻ベッカの写真広告が大きく掲げられたバス停で、その写真と対峙しながら)のでもうグッと来ていた。そしていろいろ鬱憤たまった挙句、バスの中で若い女に絡む酔っ払い軍団(こいつらの登場の勢いが最高だ)に満を持して主人公が怒りを爆発させるが、そこから繰り広げられるのは、ハリウッド映画らしい流麗さとは程遠いアクション、というより韓国映画などで描かれたタイプの暴力喧嘩(実際、作り手は『オールドボーイ』の格闘シーンからの影響を公言してる)。痛みで主人公の表情がめちゃくちゃ歪み歯を食いしばって血を流し、それでもグダグダに戦う姿には不覚にも涙が溢れた。ここには音楽も「でゅーん」というような今どき音響効果音も流れないことで、実際の現実生活で起きてしまったマジ喧嘩を目撃しちゃったような感じを増強させていて、演出もとても的確だ。掴みになるアクションシーンで泣いたのはたぶん初めて。完全に「がんばれ!がんばれ!!」という感じで観ていた。その後、主人公が窓から放り出されるも再び戻ってきて、今度はかつてのスキルを取り戻してベルトを武器にタクティカルな格闘に切り替え、ようやく敵をノックアウトさせられるという二段階になっているのも、何気にリアリティを感じさせてよかった。
ここまでがよかっただけに、そこからが…。脚本とプロデューサーが『ジョンウィック』チームなだけに、物語は本当にスカスカでしょうもない。自分は『ジョンウィック』シリーズが好きじゃないから、そこは甘く流せない。特にバス格闘以降が、いくらなんでも『ジョンウィック』すぎるだろう。敵の設定も含めパロディをやりたいのかというレベルだった。前半で描かれた息子との不和(序盤の強盗が襲ってくる展開で「お、ここで主人公が覚醒ですな」と思いきや息子が絞め技で強盗に対処したことで主人公が躊躇してしまうのが良かっただけに!)や、その強盗のもとに復讐に行ったら、正体は病気の赤ん坊を育てる貧困夫婦であったことを知ってしまう展開も、あるいはゴミ出しに毎回間に合わないというコミカルな生活描写も、主人公が覚醒した後にはまるで発展せず生かされない。ただ、敵と暴力のキャッチボールをしているだけでドラマがない。
特に強盗貧困夫婦の件をそのあと生かせば、主人公が殺人者に戻る代わりに正義の執行者になるのだというドラマが描けておいしかったのにと思う。作り手たちはそういう期待を主人公にして無かったのか?じゃあ病気の赤ん坊なんてなぜ出したんだ!まあ少なくともこの作り手たちが正義にこだわっているようには全く見えない。バスのシーンだって感動したけど、主人公が表面的には若い女を救うために暴力を利他的に使ったようでいて、本質的にはストレス発散のための利己的暴力でしかないから、実は「ざまあみやがれ!」と立ち上がりたくなるようなカタルシスには到達してない(ここのシチュエーションが『狼よさらば』ぽかっただけに、暴力と正義のせめぎあいが全く無いのはひっかかる)べつにそれならそれでいいんだけど、かと思えば主人公がクライマックス前に電話で家族に別れを伝える展開で「偽りの人生を送らせてくれてありがとう」というグッとくるセリフを言ったりするから、「ああ、殺人者に戻る代わりに家族と普通の人生を捨てるってドラマなのか…」となんだしっかりしているじゃんと思わせたら、ラストでは何事もなく家族元通りかよ!とずっこけることになるし中途半端ではある。そこら辺、実はこの映画も影響下にあるはずでクライマックスのシチュエーションが似てる『イコライザー』シリーズが、徹底した正義の追求ぶりでドラマを作っていたのとは訳がちがった。これは脚本が明らかに上手くない。そういう「やりっぱなし」感は『ジョンウィック』シリーズにも毎回感じることだから、この脚本家デレク・コルスタットはちょっと適当で信用ならない。
それに関連する明確な欠点は妻ベッカの描き方だろう。夫婦仲がうまくいってなくセックスレスになってる描写などがあるのに、主人公の覚醒以降はただ彼の言うことに従って子供を安全な場所に隔離させる役目を負わされるだけの人になってしまうことに全く説得力を感じなかった(一応、ベッドを隔てていた仕切りを取るとか、主人公の見ていないところでやっていたけどそれだけでは足りない)べつにサポートに徹する妻という人物設定は、男観客をメインにしたアクション映画特有の都合のよさということで割り切ってもいいんだけど、その手の映画として割り切るには、あまりにもボブ・オデンカークが男尊女卑感を感じさせない謙虚さと、真に迫る中年の悲哀を芝居で感じさせて超説得力あっただけに、対する妻のキャラクターにちゃんと釣り合いがとれてないのはすごく残念に感じる。
しかしそういう欠点はあれど全く嫌いにはなれないのは、とにかく主演のボブ·オデンカークと監督のイリヤ·ナイシュラーが素晴らしい仕事をしているからだ。ナイシュラーは映画監督になる前からロックバンドをやっているミュージシャンなだけあってか、今回も音楽や、あととくにブラックユーモアの時に光るギャグセンスが超いいと思う(酔っ払い軍団の不気味な陽気さや、敵のボスがカラオケが好きでお茶目な一面を見せたりするのはナイシュラーの演出でこそ魅力的になっているのだと思う)アクションのセンスももちろんだけど、そういったすべてが『ジョンウィック』的な浮ついたチャラいセンスではなく、もっと人間の生々しさや卑近なコミカルさを増強させる感じで自分は好きだ(同じくヨーロッパ生まれ監督のポール・ヴァーホーベンを少し思い出す)そして前作の『ハードコア』と本作は共通して「鬱屈をためこんだ人間の爆発」を描いているが、その爆発ぶりがスーパー過剰なところがナイシュラーにとって特別なモチーフなんじゃないかと想像する。そして、その部分に対する眼差しは間違いなく誠実な監督なんだと思った。だから自分はバス格闘までは面白くて感動すらしたのかも。ちなみに自分は『ハードコア』もすごく好きでアクション以上に、クライマックス前に主人公がずっと妻だと思っていたヒロインに、実は利用されていただけでしかも憎き悪役とくっついていて、おまけに自分自身も大量生産の使い捨てロボットだったことを知った直後に、はじめて主人公の顔が鏡越しに見える(POV映像だからそれまではどんな見た目のやつかわからなかった)その顔の気の毒なほどの普通さに「がんばれ!」となって感動した。
画のルックもクールで品のある画作りだけど、同時に現実離れしたマンガっぽさも感じさせる独特さでよかった。調べてみると『ヘレディタリー』『ミッドサマー』で難易度の高そうな仕事をしていたパヴェル·ポゴジェウスキだと分かって少し納得。
あとはそう、老人ホームでいつも西部劇しか観ていないクリストファー・ロイド。なにが良かったって、襲撃してきた敵を迎え撃った際に銃声を聞いて駆け付けた職員がドアを開けると、大音量で西部劇を観ていただけじゃというふりをすることで、殺しを見事に偽装工作するところ(職員と受け答えなしながら見えないように襲撃者の首を絞めているのが魅力的)この伏線の使い方は熱いし何気にフィクションが現実にも役に立つ系シーンとして際立っていたのでは(まあ『ホームアローン』二部作が同じようなことはやっていたが、こちらとは真剣さが違う)。ということは、この爺は普段からこうやって人を殺しているのか?とも思わせて少しゾッとした。
で、これが出来たなら、鬱屈をためこんだ中年女のアクション映画も是非作ってほしい。たとえばマーゴ・マーチンデイルで。