『ブリグズビーベア』

この映画でも起きたように、撮影現場での事故や警察沙汰はよくあることだ。特に自主映画なら尚更で、そういう事例は頻繁に聞くし、実際に目にもしてきた。知り合いは俯瞰ショットを撮影したいがために、無断で他人の家の屋根に登り、泥棒と間違えられ、署まで連行された。取調室のような部屋で警官から尋問を受けた際、自分達は映画を作っていると言ったところ、それまで呆れ気味だった警官の態度は一変し、突然理解を示しだしたという。彼にもこの映画に登場する刑事のような過去があったのかも。自分は大量の荷物を両方のハンドルにかけたまま自転車を飛ばして撮影現場に向かっていたとき、荷物が前輪に引っ掛かって後輪が浮き上がり空中で一回転して怪我をした(後ろから見ていた人間いわく「突然中に浮かび上がった」)腕を痛め、大事にしていた自転車がぼろぼろになっても、構わず撮影を続けた。

人はフィクションという嘘の世界に入り込んでしまうと、現実が見えなくなり、冷静に考えたら起こし得ないことを、いとも簡単に起こしてしまう。フィクションは現実を破壊しかねない。だから恐ろしく、そして魅力的なんだと思う。

 

自分を誘拐した犯人の創作物であるブリグズビーベアに魅了され続けた結果、自ら新作を作り出してしまう以上、主人公も現実を破壊し自らを破滅に導くかもしれないリスクを背負っていた。

しかし、本作は周囲の家族や友人がブリグズビーベアを作り続ける彼を結果的に優しく受け入れてくれたことで、観客にとっても口当たりのいいレベルで終わってしったのが勿体ないと思った。

たとえば、誘拐犯が監禁だけでなく主人公に暴行をしていたらどうだったかと考えてしまう。それだけで、主人公がブリグズビーベアに魅了され続けてしまうことのハードルはぐんと上がる。そうなると、家族や友達はさすがに主人公を見放すのではないか?しかし、それでも主人公は止まらず、たったひとりになっても作り続け、いざ完成したものを上映したら、皆から決定的に拒絶されるか、『エド・ウッド』のラストのように、幻の喝采と拍手が彼を包むのかもしれない....。この展開が面白いかどうかはともかく、そうした「たとえ世間的には間違っていたとしても、作り続けざるを得ないという創作活動の業」をもっともっと容赦なく描いてこそ、この題材と物語には相応しいのではと思ってしまった。
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誘拐犯はそれを見事に体現していたからグッと来た。この役をマーク・ハミルが演じたことで、キャラクターの持つ意味や重要性はこの物語で描いたこと以上に増した。このキャスティングの時点で勝利したかなり幸運な映画ではあると思った。