『バイス』抗えない悪の魅力
映画で魅力的に映るのは主人公ではなく悪役だ。悪は徹底的に冷徹で容赦ないほどカッコよく輝く。しかし最近の映画は悪役がどうにも弱くて不満を抱いていました。
『バイス』はそんな不満を吹き飛ばすカッコいい悪が描かれていた。観ていてグッと来るのは、権力を握り世界を思いのままにできる気持ちよさが伝わってくること。目的のためには手段を選ばず、気に入らないものはぶっ潰し、世の中を自分の思いのままにする痛快さ。まさに悪にふさわしいカッコよさ。「いいぞ、やっちまえ!」という気分にさせてくれた。
オープニング、妻役のエイミー・アダムスが負け犬時代のチェイニーの尻をひっぱたくシーンには掴まれた(この映画のエイミー・アダムスは史上最もカッコいい)表面的には素晴らしいことが起こるような芝居に見えつつ、その後の展開が分かっていれば、まさに悪のエンジンが入ってしまったゾクゾク感もあるいいシーンだ。再起をかけた二人にはハエがたかっていた。
クリチャン・ベールは『アメリカンハッスル』からの肥満中年路線を見るに、死んだフィリップ・シーモア・ホフマンの穴を埋めようとしてるのかと思っていたが、本作にナレーターとして登場するジェシー・プレモンスがホフマンの後をきちんと継げる役者になるかもしれない。彼の顔は面白くて好きだ。
クリチャン・ベールはさすがの気合いでチェイニーを演じていた。実際のチェイニーに近いのかは分からないけど、ちゃんと普通の映画では観ないような異質な人間が主演してる感じがあった。
中盤、ついに副大統領になってしまったチェイニーがひとり大統領室をそっと見つめ、過去の回想をするシーンには感動した。彼もまた家族を大切にしている男なのだといった、凡庸な感情移入がしやすくなるからではない。「権力が欲しい」という極めて非人間的な欲望が、彼にとってはこれ以上ないほど切実なものであると分かるから感動的で素晴らしい。こうしたアプローチでヒトラーが描かれたらアガってしまうかもしれないと思った。
悪だからといって単純に描けばいいわけではない。かといって感情移入しやすいように人間的な背景や動機をアリバイのように付け足せばいいってもんじゃない。悪には悪なりのカタルシスや動機がある。それは主人公にも我々観客にも決して理解しきれない。だからこそ悪は究極の他者として立ち上がりカッコよく輝く。悪を悪として輝かせる努力が最近の映画には圧倒的に欠けていて物足りない!
チェイニーの悪に高揚した身として、ラストで満を持して観客に語りかけてくるのは展開としてカッコいいと思いつつ、決して本心は語らない人間として描ききって煙に撒いて終わっても良かったのではとも思う。もちろん、あの台詞だって決して本心では無いだろうから、煙に撒く狙いもあるかもしれない。ただしあのラストもクレジット後のシーンによって相対化されるから有効なのは間違いない。
コメディ映画としてものすごく分かりやすいのは大事。エンドクレジットとその後のオマケは分かりやすさの真骨頂。「次のワイルドスピード楽しみだわ」の台詞で締めるあのシーンは「リベラル臭ぇぞ」「オレンジ色の顔した大統領」と、思わず口に出したくなる台詞に満ちていたし、いまの世の中の空気が嫌味なく描かれていた。