『ワイルドスピード スーパーコンボ』

このシリーズの不良の家族愛的な原理に基づく世界観や物語には興味なかったけど、途中からドゥエイン·ジョンソンとジェイソン·ステイサムが加わり、非人間的な要素が増えてきたから見続けることができた。そんな自分にとってシリーズで一番好きなのは『スカイミッション』であり、二人が最初に出会って繰り広げる序盤のアクションがシリーズ中で最も好きなシーンでもあります。この二人を主人公にしたスピンオフというのは、夢のような映画になると期待してた。で、ボーッと観る分には面白かった。

ヒロインのヴァネッサ·カーヴィは良かった。前半二回あるドゥエイン·ジョンソン相手のアクションは、彼女が動き出してドゥエインに向かっていくだけでスリリングだった。デヴィッド·リーチ監督はデビュー作『アトミックブロンド』に引き続き、華奢な女が屈強な男相手にガチで戦いを挑む様子を描くのが上手いと感じた。

それ以外はまったく上手くない。本作はほぼ全編ナンセンスなコメディ映画なのにまったく笑えない。これは大問題だ。アバンタイトルで二人の活躍を分割画面で同時進行させて描くのも、両者の動きや台詞のシンクロ具合などが中途半端で、様式化した見せ方としてうまくいってない。気の効いたものにもなってない(事態は続いてるのに分割画面は途中でやめちゃうのがまた中途半端)。他にもギャグやコミカルな掛け合いが大量にあるけど全部つまらない。見終わったあとに本作のギャグを思い出せる観客がどれくらいいるだろうか?公開初日に半分以上席が埋まった劇場で観たけど、最後まで笑い声が起きることはなかった。カメオ出演したライアン·レイノルズとケヴィン·ハートのくどさにもイライラした。まるで面白くない内輪ネタ、エンドクレジット後まで続く露悪的な下ネタギャグはリーチの前作『デッドプール2』でやったノリをまんま持ち込んでしまっているが、もしも、この程度で自分にはコメディが出来ると勘違いしてるのだとしたら、それはコメディに対する軽視だ。

で、こういった上手くなさはリーチの過去作全てに感じることです。とにかくこの人には演出に拘りや戦略、それから引き出しも無さすぎる。悲しいシーンもコミカルなシーンも「この角度から撮影して、編集でこう繋げばそれっぽく見えるだろう」というルーティンで演出してるんじゃないかと思った。たしかに、いつも撮影や照明がカッコいいからそれっぽく見えるけど、出来上がるのはあくまでもミュージックビデオやCM的なカッコよさであって決して映画的なものではない。要は物語とキャラクターがまるで描けていないということに尽きるんだけど。これは、MVやアクション監督などを長年やって来た人が単独で監督をしたときに陥りがちなことです。

リーチの本領であるはずのアクションにも同じことが言えて、ワンカット単位でのアクションはすごいことをやっていても、それらが繋がったひとつのシーンとして観たときにメリハリがないから、見ていてボーッとしてくる。

アクションではドゥエイン·ジョンソンという筋肉にどんな振り付けをさせるのか最も期待していたんだけど期待はずれだった。リーチが得意とするアクロバティックさとリアルさが共存した格闘アクションはジェイソン·ステイサムには出来ても、ドゥエイン·ジョンソンには無理だ。だから、全体的にステイサムには気合いが入ってる感じがしたけど、ドゥエインはどれも力押しだけで単調だった。クライマックスの大事な大事なハカのシーンもそう。ドゥエイン·ジョンソンと男たちが半裸になってハカをするシーンをスクリーンで観るために初日に行ったのだ!!ここでステイサムも上半身裸になって加わるのではないか?敵のイドリス·エルバたちもやり始めるかもしれない!?いろいろな想像をしていたのだ。しかし、結果ものすごく微妙なハカだった。細かいカット割りとアップの多い画で見せられるから、全体のダンスの一体感とカッコよさも伝わらない、目をひんむいた表情もアップで撮らないからハカの醍醐味がまったく伝わらない。これだったら『アイスブレイク』のハカの方がずっとカッコよかった。ナンセンスコメディを装う癖に、こういう部分にコメディだからこそ成立するカッコよさや感動が足りないのはどうなんだ。

そこから始まるがさつなクライマックスは自分が期待したバカさ野蛮さは足りなかったけど、ヘリとチェイスしてピンチになったときに、応援に駆けつけた車で次々と連結していくのは盛り上がった。でももっと振り切った見せ場にもしてほしかった。ドゥエインがヘリから垂れ下がる鎖を掴んで腕力だけでヘリを引き留めるシーンも、編集が細かくてちゃんと観れない。もっとしっかり見せてくれ!ここに力を入れないでどうする!バカっぽさが足りないだろう!そもそもドゥエインがシャツを着たのもガッカリだ。

ドゥエインの兄(クリフ·カーティス)ももったいない。クライマックス前に和解してどうする。和解できないままクライマックスに突入して、件のピンチになったときに『怒りのデスロード』まんまなカット割りで車で豪快に登場すれば、それだけで感動したかもしれない。もしくは、ハカのときにドゥエインの横に無言で加わってもいいかもしれない。それも絶対に感動する。だけど、デヴィッド·リーチはそもそもドゥエイン·ジョンソン要素に思い入れが無かったように感じた。むしろドゥエインが体現する泥臭いバカっぽさからは逃げているような感じもする。

要は、この映画はバカなことやってるようでいて、可愛いげというものが圧倒的に欠けている。そこが一番不満なところだ。可愛いげというのは特にコメディ映画には必要不可欠なものだ。可愛いげさえあれば、出来がどんなに酷くても許せてしまうし、観客に好印象を抱かせることができる。ただでさえドゥエイン·ジョンソンというのは、いまの映画界が誇る「ミスター可愛いげ」だ。ととえ主演作がどんなにつまらなくても、その可愛いげで悪い印象を抱かせない無敵の俳優なのだ(そもそもステイサムだって可愛いげ俳優だ)それを生かしきれてない、いや生かそうともしてない時点で本作に好印象を抱けない。これなら『ランペイジ』などの本当にしょーもない映画でドゥエインと組み続けてるブラッド·ペイトンの方が可愛いげ監督としてリーチよりもずっと優れてる。

MV的な演出、スタイリッシュぽいカメラワークや編集、ダサいフォントのテロップをこれ見よがしにやる割には、全くカッコよくもないし全く気も効いてない。表面を取り繕うばかりで、可愛いげがない魅力的じゃない。『アトミックブロンド』の頃から薄々感じていた、デヴィッド·リーチに対する信用できなさを本作で確かなものにした。

ちなみにクリスマスに公開するドゥエイン·ジョンソンの新作『ジュマンジ ネクストレベル』では、本当にかわいい俳優ダニー·デヴィートがドゥエインのなかに入るのだから、可愛いげという点で隙のない映画であることは間違いない。