『ザ・プレデター』幼稚で真摯な小学生


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脚本が重要だ。シェーン・ブラックとフレッド・デッカーが共同で書いている。このコンビはかつてデッカーが監督、ブラックが共同脚本で『ドラキュリアン』という名作を生み出した。当時、監督として名を上げていたデッカーだったが、脚本家としてのブラックはまだ無名に近かった。デッカーは次に『ロボコップ3』に大抜擢されるが、世間の評価はとても低く、それが原因なのか、その後は大きな表舞台からは遠ざかり作品数も激減した。

デッカーと入れ替わるように『ドラキュリアン』以降、名を上げたシェーン・ブラックも、97年当時のハリウッド映画史上最高額と言われる脚本料で書いた『ロング・キス・グッドナイト』の評価の低さが、こちらは間違いなく災いして、表舞台から遠ざかった。しかし、彼は監督として『アイアンマン3』に大抜擢されて、再び表舞台に返り咲いた。そして、依頼されたプレデターの新作に『ドラキュリアン』で無名の自分に仕事をくれた盟友デッカーを脚本に呼んできたのである。この時点で観る前から相当期待があがっていた。

しかし、いざ最初の予告編を観たとき、自分の期待は急速に萎んでいった。子供がプレデターを呼び寄せるというアイデアは、デッカーとブラック以外では、今どきあり得ないものだと感心しつつ、そんなものが今さら面白いのか疑問だった。昨今、流行りの80年代リバイバル的な懐古趣味映画に終わるのではと思った。

実際のところはどうだったか。たしかに、随所に80年代のアクション、コメディ、ホラーを感じさせる部分が数多くあった。しかし、これはデッカーとブラックのセンスがその時代で止まっているというだけのことで、決して懐古趣味やオマージュとかそんな意図から生まれたものではない。もっと純粋であるがゆえの根深い古臭さと幼稚さがこの映画にはあった。そして、その真摯さに感動した。

 

まず、そもそも自分にとって『プレデター』第一作目はこのブログでも書いた通り、すごく重要な映画だ。だから、アラン・シルヴェストリ作曲のテーマ曲が流れるなか、ヘリから男たちが降り立つと、それだけで高揚するものがある。本作はそれを劇中3回もやった。ヘリが飛行する度にテーマ曲を流すのは、流石にくどいと思いつつ、一作目のカッコいいオープニングを執拗にオマージュする姿勢に嬉しくなるのが本音だ。

全体的に過去作へのオマージュの案配は、見せびらかすようにやるのではなく、分かる人だけ分かればいいという気の配り方で、品が良いと思った。くどくやったって前述のヘリくらいだから、物語の流れを止めるほどのものではない。あと、一作目でシュワルツェネッガーが放つ名台詞「Get to the chopper!」をヘリではなく、バイクのチョッパーに置き換えて言うのは心底くだらないと思いつつ、堂々とやるのが流石だとも思った。

 

映画的なエンジンが一気に入ったポイントは中盤のバスジャックからの展開だ。逃げるプレデターと、追跡するヒロインとならず者チーム、しかもその追跡劇に上空から現れた巨大な宇宙船までもが加わる。その4者を同一画面に納めたカメラワークが秀逸でカッコいい。物語と映像の盛り上がりで描かれる、それぞれ別の思惑で動いている事態が徐々に交わっていくまでの高揚感と勢い。ここには映画的な奇跡が起きていたと思う。科学者であるはずのヒロインが、麻酔銃持ってプレデターを追いかけだすのもとにかく勢いがあって面白かった。

そうそう、巨大宇宙船が現れたときに、主人公たちが驚くリアクションをきちんと描いてるのも素晴らしいと思った。「宇宙船を見て驚く」なんて、手垢にまみれた描写でしかないから、最近の大作映画ではストレートにやっているのも少なかったと思う。しかし、バカバカしいものの先に生まれる映画内のリアリティを、真っ正面から描くのはジャンル映画にとって本当に大事なことで、そういうことを律儀にやって、初めて盛り上がるのだなと強く思った。こういうところに幼稚な真摯さが見てとれた。

とはいえ、全体的な作劇はたしかに雑かもしれない。しかし、キャラクター描写や台詞の応酬に関しては、とても丁寧だった。デッカーとブラックは魅力あるキャラの描写に関して相変わらずセンスいいと思った。

障害を持つ息子が主人公である父親に「期待通りに育たなくてごめんなさい」と言う。それに主人公が返す「俺も俺の期待通りに育ってないよ」という台詞には目頭が熱くなった。こういうのが感動的な台詞でありドラマなのだ。他にも表面的にはしょうもなく、下品極まりないようにしか思えない台詞のやりとりから、キャラクターの背景や距離感が浮かび上がるいいシーンがたくさんあった。一見、ふざけてるように見えて、デッカーとブラックは本気だ。こういうところが真摯なのだ。このあたりの手腕に関しては、かなり真っ当な脚本だと言える。逆にいうと、この映画が真っ当に見えるくらい、最近の大作映画にはいかに良い台詞が不足しているかということでもある。

ならず者チームはみな魅力的だが、チーム一番のキチガイを演じたトーマス・ジェーンにグッと来た。彼は『パニッシャー』や『ミスト』で主演を務め一時期はスターにまで登り詰めたが、その後私生活でいろいろとトラブルを起こし表舞台から遠ざかっていた。久しぶりに見た彼の表情からは、かつてのハンサムさが消え、この数年間に味わった苦労がにじみ出ていて渋くなっていた!今後、俳優として良い活躍が増えてほしい。欲をいえば、もっと彼のアクション見せ場が観たかった。

 

クライマックスには少し不満がある。編集を細かくしすぎていて、終盤はなにが起きているのか分からない部分がかなりあった。そのせいもあってアルティメットプレデターとの直接対決も、盛り上がりに欠けたような気がする。クライマックスにも、なにかもうひと超えバカバカしいアイデアがあれば盛り上がったかも。直前に、生身の人間が宇宙船に飛び乗り、迫り来るシールドを飛び越えるなんて展開を堂々とやるのは素晴らしかった。そういうのがもうひとつあれば...。

ただ、そういうのがラストにある。ラスト、あの棺の中に入っているものが「プレデターキラー」という名前だと明かされたとき、中の正体はシュワルツェネッガーだと思って、ものすごい緊張した。しかし、シュワルツェネッガーは出演を断っていたことを思いだし、ならばダニー・グローバーかとまた緊張した。結果はそのどちらでもなく、本当に小学生が思い付いたようなものが出てきて驚いた。最近の大作映画お約束のクリフハンガーを予感させるラストというより「カッコいいのを思い付いたからやっちゃいました」という程度のものでしかない感じが良い。しかも、実際にはそこまでカッコよくないのも良い。

 本作は世間的な高評価を受けないだろう。実際、映画館で観たとき怒って出ていく観客もいた。ブラックのキャリアが今後続くか心配でもある。しかし、どれも似たようなつまらなさを抱えつつある現在の大作映画界のなかで、現代に通ずるメッセージや政治的配慮などを微塵も考えていない本作が観れたのはとても痛快なことでもあった。まさに、本作のならず者チームのように、世間からの評価など吹っ飛ばして、自分のやれることをやりきったデッカーとブラックは尊敬に値するし、本人たちもどこか幸せなんじゃないかと思う。